エドガー・ケイシー探究記

エドガー・ケイシー研究者 光田 秀が伝えたいこと

戦争の怪我と手術の後遺症による関節炎とカルマ(2017年8月31日)

【先ほど、素敵なリーディングを翻訳したので、ご紹介】

これは、46歳男性に与えられたもので、戦時中に受けた怪我と手術が原因で、長く関節炎を患っていたようです。その人は、肉体的な治療法についてのアドバイスを得ましたが、さらに続けて次のような質問をし、以下のような助言を得ました。

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(問)これらの疾病はカルマによるものなのでしょうか。 もしそうなら、私は過去に何をしたのでしょうか、どうすればそれらのカルマを解消できますか?
(答)これらは一部はカルマであり、一部は単に自己によるものである。 もちろん、カルマの状態は原因と結果である。 しかし、主に対する信仰の力が恩寵をもたらす。主が物質化されること、主の顕現、主の栄光を信じる力が恩寵をもたらすのである。 それ故、この実体の目的は常に、どのような能力があろうとも、それらを地上における主の栄光をいよいよ称えることに使うものでなければならない。
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自分の肉体的苦痛がカルマによるものかどうかを質問したわけですが、ケイシーは「一部はカルマであり、一部は今の自分のあり方から来ている」と答えた後で、それにつづけて、「カルマによるものであれ、主イエスを信じる力が恩寵をもたらす。主が現われて下さること、主の栄光を信じる力が恩寵をもたらす」と答え、そして、「あなたにどんな能力があろうとも、それを地上における主イエスの栄光を讃えることに用いなければならない」と答えました。なんと美しく、力強い助言でありましょう!

さらにこの人は次のように問いました。

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(問)私の魂は進歩しているでしょうか、あるいは、私は今回の転生の目的をしくじっているのでしょうか?
(答)常に進歩している。 時にはしくじっているように見えることがあったとしても、神の愛と配慮から汝を切り離すものは何もない。ただ自分自身が切り離すのみである。
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われわれは人生をどこかでしくじったことがあったとしても、われわれは常に神の愛と配慮を受けている! 自分のみが、その恵みを切断してしまう。われわれは、このことをどこまで本気で受け入れるのか。そこに分岐点がある。

この人は、よほど自分に非があると信じ、また、それを指摘してもらいたかったのかも知れません。しかし、リーディングは次のように答えました。

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(問)私の誤った行いとは何でしょうか?
(答)われわれは、汝も、誰も裁かない。 汝の理想は何であろうか? 汝の活動を、汝の理想と比べてみよ。 それを頭の中で行うのではなく、紙に書いて行ってみよ。 そうすれば、あなたはそこから教訓を学び取ることができるだろう。
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自分の過去の誤った行いを知るよりも、今の自分が自分の掲げる理想に沿っているかどうかを考えよ、と言っているのでしょうね。
「われわれは汝を裁かない」という言葉は、主イエスが、姦淫の罪で捉えられたマグダラのマリアに対してかけた言葉を思い出させます。
そして、彼の最後の質問はこうでした。

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(問)この道における私の成長をさらに高めるには、私は何をすべきですか?
(答)恥ずることのない働き手として、神に認められるように努めることだ。 真理の言葉を正しく語り、他人の誹謗中傷や物事に汚されることなく、自らを清く保つことだ。
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神に認められるように生きよ、と。
人から誹謗中傷を受けようとも、それらに汚されることなく、真理の言葉を正しく語り続けよ、と。

ここにおいて、われわれは「真理はあなたを自由にする」という意味での自由を獲得します。

素晴らしいリーディングを翻訳できることは、私の喜びであり、それを伝えられる立場にあることは、驚くべき恩寵であります。主のなさりようを賛美いたします。